映画「峠 最後のサムライ」

2022年6月17日(金)に 映画『峠 最後のサムライ』が全国公開されました。
内容は新潟の英雄 『河井継之助』の北越戊辰戦争の様子が描かれました。
映画を見られてない方が大半だと思うので、簡単に感想だけ伝えます。
↑林先生が河井継之助を尊敬している内容の動画です。
河井継之助って?
河井継之助の読みは かわいつぎのすけです。
1827年に生まれ、1868年に亡くなっているので、41歳という短い生涯でした。
1827年 | 0歳 | 長岡城下に生まれる |
1852年 | 25歳 | 江戸に遊学 佐久間象山に学ぶ |
1859年 | 32歳 | 江戸、備中松山、長崎へ遊学 山田方谷らの教えを請う |
1865年 | 38歳 | 郡奉行に就任。藩政改革に着手 |
1867年 | 大政奉還(←映画はここから) | |
1868年 | 41歳 | 小千谷談判(決裂) 北越戦争開戦 会津塩沢で没(享年42) |
映画のキャスト
映画で印象に残ったところ
この映画は派手な戦闘シーンがあるわけではありません。
真田幸村みたいに 単騎で数万の兵に突進するような事はないです。
淡々と歴史の史実通り内容が進みます。
↑こんな戦闘シーンが好みです。
その中で印象に残ったシーンは、「小千谷談判」のところです。
河井継之助が新政府軍と会談をして、会津と戦争回避についての話し合いをする予定でしたが、岩村精一郎(当時23-24歳)に時間稼ぎと思われて、交渉することなく決裂しました。
ここは残念なシーンでした。
まとめ
河井継之助は新潟の偉人ですが、評価はどうですか?
敗戦の将なので、厳しい評価もありますよね。
武装中立が成功し 戊辰戦争を回避していれば、偉人中の偉人になれたのでしょうが…
単純に新政府軍に味方をしても、会津との戦いになれば 前線に送られて たくさんの長岡藩の武士が亡くなります。長岡が戦火にならないかわりに、長岡藩の誇りもなくなります。
勝ち馬にのらずに、徳川との義を守った河井継之助を 嫌いにはなれませんよね。
みなさんはどのような評価ですか?
コメント欄で教えてください。
ロケ地
①北方文化博物館
②佐潟水鳥・湿地センター
③長谷川邸
④西脇邸
⑤朝日山古戦場
⑥オオクラ見晴台
↑小千谷市川井のポイントです。
⑦新発田城
⑧市島邸
⑨慈光寺
⑩雲洞庵
(11)渡邉邸
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