【魚沼市】明神峠・銀の道

明神峠・銀の道

「新潟の山歩き50選」と呼ばれる本の28番目に紹介されている山です。

本で紹介されている内容より引用

登山口から山頂まで 2時間10分

(石抱橋から明神峠まで)

難易度 ★☆☆☆
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銀の道(旧枝折峠きゅうしおりとうげ)

 「銀ぎんの道みち」は平安末期へいあんまっき、長寛元年ちょうかんがんねん(1163年)尾瀬三郎おぜさぶろう房利卿ふさとしきょう?が京きょうを追おわれ、尾瀬へ逃にげ延のびた道としての伝説でんせつを持もっている。それから約やく500年後ねんご、銀山ぎんざんが発見はっけんされ、銀を運はこぶ唯一ゆいいつの道であった。銀山最盛期さいせいきには、一万数千人いちまんすうせんにんが行いき来きし、人馬じんばの絶たえることがなかったという。

人ひとの汗あせ、馬うまの汗、そして遊女ゆうじょの涙なみだ…さまざまな人間模様にんげんもようが刻きざまれ、どれほどの汗や涙を吸すったことだろうか。

登のぼり口くちは、口留番所くちどめばんしょのあった駒ヶ岳こまがたけ山麓さんろくの駒ノ湯こまのゆ近ちかくの、坂本さかもとから始はじまる。坂本~枝折しおり大明神だいみょうじんは標高差ひょうこうさ900mで、延長えんちょう約やく8km、眺望ちょうぼうの良よい所ところ、水場みずばなど自然しぜんと一服場いっぷくばが生うまれ、人々ひとびとの語かたらいの場となっていた。また、問屋場とんやばには、季節きせつ遊女までいたという。

血ちと汗あせと涙なみだで踏ふみ固かためられ、銀鉱ぎんこう町と共ともに栄枯盛衰えいこせいすいの歴史れきしを刻きざんだ道みちである。

魚沼市教育員会より引用

「栄枯盛衰の歴史を刻んだ道」上記文章を考えた人は天才でしょうか。

以上になります。ご覧になっていただきありがとうございました。

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